無の会話

 最近寒いですね。まあ1月なのでね、北半球は寒めですよね。私は関東に住んでいるのですが、来週の月曜日は雪が降るとか降らないとか。降らないが優勢になってきましたが、当日にならないと天気なんてわからないですよね。天気予報も神様がやってるわけじゃないですからね。ワハハ。

 こういうのを無の会話と呼ぶらしい。私の社会人人生での会話は、たぶん9割こんな感じだ。ここからは無の会話っていいよねって話なので、予めご了承ください。

 人間関係は難しい。たとえば順風満帆な様子を球体だとすれば、人間関係なんてのは無数のトゲトゲで構成された、わたあめより脆いものだ。リーダーもしくはボスがいて、腰巾着がいて、下っ端がいて、そういうことに迎合しない人がいて、誰にでも優しい人、誰にでも突っかかる人、何もかもどうでもいい人……。いろんな人がいることは当たり前で、むしろいろんな人がいるほうがいい。人類は多様性で勝負しているので。それ自体はいいが、やはりその中で協力してなにか達成しようとしたり、達成とはいかなくとも、ただ同じ空間で邪魔せずにいるだけでも大変だ。相手に一片の瑕疵がなかったとしても、”私”の機嫌が悪いというだけで、難易度・最悪。相手や周りのほうが悪いと”私”が思っているときなんて……! あぁ、いやだ。難易度・地獄。

 自分の機嫌は自分でとれやって話ですが、なんにせよ「関係」というからには相手ありきのもの。その点弊社は最高にいい環境だ。他人に干渉しようという人が少ない。つまり余計な軋轢が生まれず、コミュ障であんぽんたんな私でも生息可能地域。働くのは泣くほど嫌だけど、人間関係というカテゴリではかなりの当たりを引いた。

 そんな恵まれた環境でも挨拶だけではさすがにやっていけない。エレベーターや更衣室、なんか話さないと間が持たない一瞬がくる。そういうときこそ無の会話。主に天気の話、なんか時事的なうろ覚えのワールドカップの話とか、今日忙しかったですねという当たり障りのない話。パーソナルなところに踏み込みすぎない話。口に入れた瞬間溶けてなんか味した気がするけどもうわからない、風味つけくらいの会話がいいんだよ!ね!!ねぇ!?!?

 自分のパーソナルな話の手数が少ないから話題にするのが嫌なだけで、相手のパーソナルな話をきくのは結構好きだ。だが、その場合はこちらからもなにか同程度のものを差し出さなければならない気がして見送ってしまう。こういう杞憂の積み重ねで人間関係構築が苦手になっている。よくないと思いつつも、勝手に演算する脳を止められない。無の会話なら、含まれる情報量はフロッピーくらいなので快適な速度で出力できる。楽に流されている。

 デメリットもある。シンプルに距離が縮まらない。無の会話で近づける最短距離は糸電話くらいだと思われる。短所と長所は裏表なので、逆にそれくらいがいいという私のような人間もいる。もはや上司、部下、先輩、後輩という関係でさえなく、仕事する場所が一緒の人くらいを目指す人は試してみよう!その結果なんかハブられても責任はとれないので、諦めてください。

 職場の人同士で味の濃い深い話もしてると思います。私がその輪に入ってないだけで。でも、そういうことができない人間を生ぬるく許してくれる環境が心地いいのです。