あの頃の憧れの中に

 冬に雪が2mも積もるような場所で生まれ育った私には、いつか「庭にミカンのなる木がある家」に住みたいという夢があった。柑橘類は寒さに弱いため、ふるさとで叶えるのは難しい。だが、だからこその憧れ。寒くて閉鎖的なここから出て、どこか暖かい場所へ行きたいという甘い夢。誰かの庭で育てられているミカンの木はその象徴だった。真っ青な空にまるまると黄色い果実がたわわに浮かんでいる映像を思い起こしては、想いを募らせていた。暖かい場所へ居住地を移して、楽しく哀しく過ごしているうちに、いつしかそんな夢も忘れ去っていた。だが、もしかして叶い始めているかもしれない。
 なぜなら今、ベランダにレモンの木がある。

レモンの木 しかも3本もある

 

しっかりとトゲがある正真正銘レモンの木

 種を植えてみたところ、これがすくすく成長している。4、5カ月でこんなに大きくなるとは予想外だ。きっと環境が合っているのだろう。実際、近所にはミカンがなっている家がある。もはや見慣れすぎて憧れの風景だったことも忘れていた。
 ミカンがレモンになったのはまあいいだろう。暖かい場所で育つ柑橘類の樹木ということが重要だ。庭がある家、これは難しいな。私が庭をもつには寒いふるさとに帰るほかない。「ベランダにレモンがなる木の鉢がある集合住宅」というのが実現可能性が高い修正した夢だ。
 これに気づいたとき、もうひとつ叶っている憧れがあることを発見した。それは「唯一無二の親友と定期的にお酒を飲む」だ。
 この憧れ元は夢枕獏の小説「陰陽師」シリーズの安倍晴明源博雅だ。

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 このシリーズが大好きで、年に1回以上は読み返す時期がある。ゆったりとした雅な中でも、一歩踏み出せば真っ暗な人間の業に浸かってしまうような、そんな雰囲気が好きだ。
 この小説で清明と博雅は親友ということになっている。酒を持ってふらっと遊びに行く。社会的な立場を横に置いて、素直に等身大の人間として付き合える。良いところを褒め合って、ここで一緒にいて、飲んだり話しをするのが幸せだと言い合える。そんな関係が素敵だと思った。
 そんな親友が私にもいる!飲みの約束をして血眼でいい感じの店を探し、日々の憂さを晴らすように大いに飲み食う以外のところはだいたい似たようなものだ。話題が尽きて無言になる瞬間があっても苦にならない。焦燥感なく次の話題考えて、そこからさらに2時間飲む。知り合って10年以上経つし、物理的距離が遠く離れたこともあったけど、気が合って定期的にずっと会えるなんて幸運で幸福だ。僥倖。Serendipity
 振り返るとあの頃の憧れの中にいる。ミカンが育つ地は思っていたような楽園ではなかったけど、レモンの実がなるといいなと思いながらここで生活をする。出会ったころから正しく年月が降り積もって私も親友も変わったけれど、あの頃から変わらない関係が続いている。
 ままならないことが多いし、何も変わっていないどころか退化していると感じることも多い。だが確かに理想に近づいているのかもしれない。形が変化して、より私に合う、理想と私のちょうど重なった場所に向かっているのかもしれない。レモンの木をみながらそんなことを思った。