種を蒔く

 5月はどうだった?私はとても悲しくてつらいことと、これ以上ないくらい嬉しくて幸せなことがあったよ。悲しい時は悲しいだけではない、嬉しいときも嬉しいだけではない。大声で笑った日も、泣いた日も、暇でしょうがない日も、ハロハロを食べて美味しかった日もあった。大きすぎる感情波のは嬉しくても悲しくてもしんどい。以前はそれに振り回されてさらに疲れてたけど、最近はマシになった気がする。
 まあそんなことはともかく、先月にいとうせいこうさんの『ボタニカル・ライフ 植物生活』を読み、晴れてベランダーになった。

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 植物が好きだ。でも、私に植物のある生活は無理だ……と端から諦めていた。だがこの本が勇気、いや諦めをくれた。植物が好きなのに栽培を躊躇するのは、きっと枯らすだろうからだ。恥ずかしながら、私は何かを定期的に世話できる性格ではない。このブログも最初こそ威勢よく始めたが、もう月一しか書いてない。適切に水をあげなくては生きていけない生き物の面倒など見れるはずもない。さらに私のベランダは北向きだ。完全に陰になっているわけではないが、1日に3時間ほどしか直射日光が差さない。日光がご飯の植物には酷すぎる環境だ。欲望のまま植えられて、枯らされる。可哀そうだと思った。でも育てたい。
 そこに現れたのが、『ボタニカル・ライフ』だ。朝ドラの影響で、書店には植物書籍コーナーが特設されている。この本もそこにあった。著者のベランダ園芸の様子を描かれたエッセイ本だが、めっちゃ面白い。園芸というとお上品なイメージだが、この本はかなりアナーキーだ。植物たちに「ども」をつけて呼び、いっぱい迎えていっぱい枯らす。この環境から脱落するならいらんと叫ぶ。
 なるほど、こういうスタンスでいいのかと思った。なんか気後れしていたが、そもそも植物は自分に合う環境でしか生きることをしない。雑草なんかはアスファルトが小さく欠けた隙間でも芽を出し、その小さな土で賄える小さな花を咲かす。同じ草でも、畑の隅の、作物の邪魔にならないから除草されないがこぼれた栄養は貰える場所だと、見たことないくらい大きく育つ。その植物が生きるも死ぬも、種を蒔いた私と、そこで芽吹くと決めた植物自身に責任があるのでは?ここまでいうのは詭弁かもしれないが、罪悪感の誤魔化しにはなる。
 言っておくが、著者のいとうさんが(執筆当時)よく枯らしたのはめちゃくちゃ多忙だからだ。怠惰な私とは訳が違う。つっけんどんな態度で植物を深く愛し、生態をよく調べて熱心に面倒を見る。それがすごく楽しそうだったから、私もやってみたいと強く思った。
 以下が現在のメンバーだ。

コスモス 葉っぱが可愛い

マリーゴールド 牛乳パックは水はけがよくないので元気がない

千日紅 赤い芽が緑になってきた

ミニひまわり すでに大きい

カモミール&バジル 移植したが直播きにすればよかった

バジル 水耕栽培のすがた

キンレンカ 実家から苗をもらった

 

 土から種から全部ダイソーで買った。ダイソーは何でも売っていてスゴイ。というか、都心部の人はどこで園芸用品をそろえているのか。実家がある田舎の方だとコンビニよりもホームセンターの方がたくさんあるが、ここいらでは見たことがない。駅前にも苗とか種とかを入口にたくさん並べているタイプのホームセンター建ってくれ。ファミマはもう3件もあるから、これ以上増えなくて大丈夫だから。
 植物を育てるのはやはり面白い。硬い種を土に蒔いて水をかけると芽が出るというのがもう面白い。マジで出たwという気持ちだ。あまりにも意外で、あまりにも予想通りで、思わず単芝も生える。木にも草にも興味なくても、自分で蒔いた種から小さな緑が生まれるのは感動するので、よければお試しあれ。
 私にとってはとても楽しいが、やはり植物たちにとってここは良い環境とはいえない。日が差すのはたった3時間、雨の日なんて外にさえ出してもらえない。だがそんな最悪な環境にも関わらず、毎日みんな成長している。根を張り、新たな葉っぱを出し、茎を太くする。日光不足のせいでヒョロヒョロになりながらも、ちゃんと太陽に向かって伸びていく。
 夜に仕事から帰ってきてから目の当たりにする、朝より成長した姿。貪欲に太陽の光を求めた姿に生命のしぶとさを感じる。私が世話をしていると思っているが、結局、その姿を喜んだり神秘を感じたり、面白がっている私のためなのだ。植物たちにとっては小さい鉢なんかに埋められたのが不運であって、私などいなくとも、芽を出したいときに出し、伸びたいときに伸び、花をつけて種を残す。それでも、天気予報を真剣にチェックして、土に指をつっこんで水を遣るかどうか悩む。そんな毎日の変化が楽しい。
 これが「幸せ」なのかと思う。突発的なドでかい幸福とか幸運ではなくて、心が落ち着くような、しみじみと感じる幸せ。とんでもない幸福な時も心はどこかに飛んで行っている。私の心がここにあるままで、緊張して固まっていたものがほどけて、今この瞬間をゆっくり生きていると実感する。気がする。
 さて、梅雨に入ってしまったこれからが心配である。だだでさえ、日が入らないというのに。植物たちにはより一層頑張ってもらいたい次第である。